嵐は去ったけど、相変わらず自分のペースでコトを運べるところまでは戻ってきてなくて、あっという間に日々が過ぎる。じゅうぶんに(僕の言う十分とは、成人としてはいささか過剰な、8時間弱のことを指す)睡眠をとらないと日中が辛いので、そうするとあとは猫の相手してたら一日が終わってた、なんてことになる。毎日なんかしら書くのなんて大したことないのに、気がつくと二日過ぎてたりする。おどろいちゃうね。

自分がその嵐の五月からいままでのあいだ、何をしてたかメモしておこうと思う。思い出せる限りで。

映画。「パフューム」(よかったんだけど、クライマックスで笑ってしまった)、「明日、君がいない」、「リトル・ミス・サンシャイン」(自分が女の子と同じ眼鏡かけてた)、「イカとクジラ」(観たことあった気がする)。そして友だちの家で見た自主制作映画。そういや観た映画リストを作ってたけど挫折してほっといてあるなあ。日曜洋画劇場で観たやつとか、どれだけ覚えてるんだろうか。

本。村上春樹「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「ノルウェイの森」「ねじまき鳥クロニクル」「国境の南、太陽の西」「ダンス・ダンス・ダンス」、マーク・ストランド著、村上春樹訳「犬の人生」、本多勝一「日本語の作文技術」(すごい良著)、いしいしんじ「ぶらんこ乗り」「いしいしんじのごはん日記」、吉田修一「パレード」(いろんな意味で驚いた)。枡野浩一「ショートソング」。以下、yomyom vol.2で読んだやつ。角田光代「くまちゃん」、沢木耕太郎「ピアノのある場所」、阿川佐和子「凩」(これよかった)、大島真寿美「ジ・エンド」、川上弘美「四度めの浪花節」(これもよかった)、沢村凛「マダム・リーと夜更けの小人」、乃南アサ「すてる神」(これもよかった。この雑誌の意図通り、文庫が欲しくなった)。

買ったCD。100s/ALL、Polaris/空間、CSS/Cansei De Ser Sexy、Mr.Children/HOME、クラムボン/The New Song(さいこう)、65DaysOfStatic/One Time For All Time、Bill Evans/Sunday At The Village Vanguard、Waltz For Debby(すばらしい)、Billy Wooten/Lost Tapes、Gary Burton Quartet/Times Square、Medeski, Scofield, Martin & Wood/Out Louder、Will Bernard/Party Hats、Rory Block/I'm In Love、Small Sails/Similar Anniversaries、Steve Reich & Musicians/Octet, Music for a Large Ensemble, Violin Phase(聞いてると旅立つ)、矢野顕子/Home Girl Journey(さようならが良すぎる)、Piano Nightly。あと STRAIGHTENER/リニア をもらった。借りたのは面倒なので省略。

漫画。大庭賢哉「トモネン」、富樫義博「レベルE」(何で持ってなかったんだろう)、こうの史代「ぴっぴら帳」「こっこさん」「街角花だより」、小田扉「江豆町」、吉田秋生「蝉時雨のやむ頃」「吉祥天女」。

行った場所。六本木、麻布十番、銀座、浅草、押上、高円寺、吉祥寺、西荻窪、三鷹、神保町、新宿、高田馬場、恵比寿、神保町、石神井公園。あと東京駅から自宅まで歩いて帰った。東京から一歩も出てない。そして西東京ばっかり。

いい天気だったので昼は外で食べようと思って、21階から3階に下りた。

僕の会社の近くには船着場があり、一段上がったったところにウッドデッキがあって、そこにはいくつかのベンチがある。会社が入っているビルの3階からその広場に繋がっていて、右手側はフジテレビの球体や、羽田空港に向かって旋回しながら高度を下げていく旅客機、レインボーブリッジが旋回して橋になっていくさまや、いくつかのビルが見える。わりあいと距離があるせいで、球体は小ぶりで、飛行機はゆっくりと視界を横切っていくし、レインボーブリッジとその先にあるビルは、なんだか子供のころに遊んだプラレールのように見える。

左手には勝鬨橋と、大小さまざまなビルが織り成すグラデーションがある。会社案内のパンフレットにも使われたモチーフで、グラフィック・イコライザーを思わせる隆起。夜中に見ると、自分と同じように働いている人がこの先にどのくらいいるのかな、なんて点いてる灯りを数えたりもする。意外に点いているとも言えるし、眠らない街と言われる割にはけっこう眠ってるじゃないか、とも言える。

ウェンディーズでハンバーガーを買って、ベンチに座る。ここは休日だと伊豆七島から帰ってきた旅行者とか比較的若いカップルや、犬を連れて散歩してる人なんかが多いけど、平日の昼間は僕みたいに昼食を持って出てきているスーツ姿の人が多くて、何をするわけでもなくぼんやりとしていたり、ベンチに横たわって昼寝をしていたりする人が多い。それも、けっこうくたびれた感じに見える人が。あるいはこの場所でぼんやりしているとくたびれた格好に見えてしまうのかもしれないな、と思いながら僕は照り焼きチキンバーガーをかじる。ソースが変わったって言ってたけど甘ったるいのは変わりなく、口の中がべっとりする。

ジンジャーエールをストローで吸い込んで口のなかをすっきりとさせ、しばらくぼんやりと、くたびれて見えるかもしれないぐらいぼんやりと、景色を眺めていた。横で鳩が三羽、昼寝をしていた。ここの鳩は僕みたいにベンチでくたびれてる人からパンのかけらをもらったりして慣らされているので、人に対して警戒が薄い。餌を与えられて太った鳩はふだんよりやや平らになっていて、気の抜けたラグビーボールみたい。目の前に広がっている河と海の境目みたいな水のかたまりの上を、客があまり乗っていない観光船が横切っていく。小型の漁船や貨物船が波にゆれて上下しながら交差していき、大島から戻ってきたジェット船から出る気流でその景色の大半が陽炎に包まれてゆらゆらとゆれる。

僕がこの場所をいまいち好きになれないのは、ハレの日のために作られたものが日常に埋没してしまっているように感じるからだと思う。これが用がないときはうらぶれていたりすればまた好ましく感じたりもするんだろうけど、中途半端に近隣の人々の日常としても機能しているし、週末にやる気をもってここを訪れる人を見ても、僕からすると会社がある場所なので、なにやら拍子抜けしてしまう。海が見えるところに会社がある、なんて言えば聞こえがいいけど、とても嫌なわけでもないが別段ひとに胸を張って薦められる場所でもない、すこし灰味がかったところなのだ。

それでもやっぱり天気が良くて過ごしやすい気候だと、外に出たくはなる。ジェット船の気流でゆらゆらとゆれる「F」の表示。波が平らだと告げる電光掲示を眺めながら、海の匂いが夏っぽくなってるなと思った。何かをやりたくなるけど何もしたくなくなるような季節。外に出るといつも「何してるのかなあ」と言ってる気がする。それは発する時々によって、自分だったり誰かだったり、誰でもない多くの人々だったり、もう引っ越してしまった昔のマンションの管理人だったり、動物園にいる象や、水族館にいるペンギンのことだったりもする。

結局一時間ぐらいベンチに座っていた。別になんにも始まらないし、何かが特に音を立てて崩れたりもしない、穏やかでも剣呑でもない午後。とりとめがないようだけど、でもそういった振り子の折り返しから少し進んだような、どちらともつかないような時間をけっこうな頻度で取り入れていかないと、自分はいろいろおかしくなって行くんだなってことに最近気がついた。たとえば僕は今日まで、目の前に広がる景色を河だと認識してなかった。自分が河だと思ってイメージするものとここはあまりにも違うから、まったく何の疑いも無く、河だと思っていなかった。そういう落っことし方をしてしまうことが良くあるのが自分なんだと、少し気をつけるようにしている。

 

家に帰ってみたら、ねぎが暑さのせいか、水を飲みすぎて布団の上で吐いたあとがあり、カバーを洗おうと外の洗濯機に向かったら、駆除された毛虫が洗濯機の上で何十匹か干からびていた。昨日作ったオニオングラタンスープを入れたカップは流し台で少し臭くなっていて、冷凍庫のアイスは一度溶けて固まったようで変な食感だった。僕は今年の夏に対して「めんどくさい季節だなあ」という導入を迎えることになりそうです。

毛虫、そういえばうちの庭にある梅の木から出てきたらしい、と管理人が言っていた。特に手入れもしないのに勝手に育ってえらいなあと思ってたけど、放って置きすぎるのもまずいのだなと思った。雑草もすくすくと育って、僕の腰ぐらいまでの高さになって、花までつけてる。花が咲いてるとちょっとだけ摘むのが惜しいけど、この家に最初にきたときにはこれ以上ないぐらい雑草が密集して、しかもそれらが全て僕の背丈ぐらいあって戦慄したことがあるので、躊躇無く抜いていかなくてはならない。せっかく庭があるんだからいっそ何か育ててみようか、とも思うんだけど、自分が何を育てたらしっくりくるのかもうひとつわからない。力強くなく、でも朴訥で、たまにきれいだったりするようなものがいい。

朝まで飲んでいたにも関わらず、猫にたたき起こされた。うちの猫は文字通り人を「叩き起こす」。起こす理由にはふたつあって、ひとつは腹が減っていることを知らせているとき。もうひとつは、飼い主が寝てると暇なのでちょっかいを出してやろう、というとき。今日は後者だった。起きてみて餌をやったら少しだけ食べ、すねに頭突きを何回か繰り返したあと、何をするでもなく外を眺めはじめた。遊んでやろうかとおもちゃを差し出してみたが、少しじゃれただけで後は邪険に払った。今日も彼はあきらかに猫なのだ。

 

昨日は大阪から来た友人と展覧会に行ってきた。六本木から少し麻布十番側に歩いていったところにあるヴァイスフェルトというギャラリーで、カンノサカン氏の個展。既についたときはオープニング・パーティ中で、人の話し声が聞こえてくる。階段を上って二階に行くと壁一面を使った巨大な作品が目に入った。鏡面のように塗られたつやのある黒の上に、下書き無しで描かれたというその画は、生物の骨格を彷彿とさせつつ、基盤のような配列も思わせる。

それらをないまぜにしたあと再構築したような抽象画には見ている人の姿が映りこんでいて、モノトーンの階調と淡い肌色で構成された画の遠近感と相まって、そこに注目している人の心情を映し出しているようにみえた。近づいてみるとところどころに真円に近い形で切り取られている部分があり、そこには緻密な線が幾重にも交差し、混ざりこんでいた。それが遠めには気づかなくても何か生き物の関節のようにも見えて、ひとつの個体としてうごめく、心情を取り込んだ個体のようにも感じる。

会場では、久しぶりに人間違いにでくわした。
「青山さんですか?」
「いえ、違いますよ」
「あれ、そうですか?でも会ったことあるよね」
「どうでしょう、見覚えがあるといえばあるような」

彼女はいくつかのキーワードを僕に投げかけてみたが、それは残念なことにどれも知らないものだった。ドアをあけるための暗号にはならなかった。「でも何かの縁でしょうね」「そうだよね」と僕らは名刺を交わし、彼女が横浜の馬車道で個展をやるというところから、大さん橋の話をした。壁までがウッドデッキになっている、巨大なくじら。雨の日にあそこに行くと、張られた木のすきまから水が滴ってくるんだよ、だからとても滑りやすくて子供にはあぶないんだ、と彼女は教えてくれた。そのすきまに足をかけて、壁を登りたくなるんですよね、でもきっと「登ってはいけない」って注意書きがあるんだろうなと思うと、周りを見回すまでもなく、すんなりとわかりやすい場所に適切なサイズで「のぼらないでください」という表示があるんですよ、と僕は言った。

 

会場を出て、二次会にお邪魔する。日本人の繊細さと粘り強さは素晴らしい。韓国語は覚えたらすぐ通じるわかりやすさがある。4トントラックを運転しているときは八代亜紀が一番しっくりくる。えんやとっとのリズムは海洋民族の根幹を成している。福生では駐車場に車を5台停められてひと月五千円。家にはウォシュレットもついている。校正を掛ける時にはプリントアウトしたほうがミスを見つけやすい(間違っている部分が勝手に光っているように見える)。同じものをみて同じものに惹かれている人たちでも実に多様な種類・多様な強弱の思いがあるんだなあと僕はさつま揚げやいたわさを食みながら感心した。

そういえば僕は今日の作品を昔見たことがあって、同席させていただいた佐藤好彦さんの作品も見たことがあった。ふだんアートに対してそれほど関心を寄せているわけではないけど、僕はたぶん同じ匂いをそこに感じたから記憶に残ってるわけで、こういう感覚的なつながりに何か名前を与えて、それによって傾向をゆるやかに分類できたら自分の中の個々の特性をもっと生かしやすくなるのかもなあ、などと出し巻きをつまみながら考えていた。

 

二次会を後にして、あとから来た友人と待ち合わせて麻布十番まで歩く。近々東京に住まうことになる友人を、夜中のひまつぶしスポットである六本木ヒルズのTSUTAYAに連れて行く。旅でもしたいなと観光雑誌を探していたら沢木耕太郎氏の深夜特急が平積みしてあって、しばらく読みふけってしまった。いきなりそれはちょっとやりすぎなので、まずは近いうちに一泊ぐらいでどこか行こう。

十番商店街を通り、さいきん新しくできた立ち飲み屋に入って3時間ほど飲み続ける。自分は主に食べ続けていたけど。牛モツのデミトマト煮込み、リェットごはん(豚パテ・オニオンスライスをのせたごはんにガーリック醤油を掛けて)、塊パルミジャーノ、フライドポテトが予想を裏切る形で驚いた。

そしていつもの永遠の課題について話をした。0から1の人。1から10の人。10を100に見せる人。お互いがお互いを自分にはできないなと思っていて、だからこそ人は集まって何かをするんだろうね。そしてできないと思っているのは分野が違うからかもしれなくて、でもどっちもできるけど中途半端というのだって良くはない。それでも何を選んだって何も選ばないよりは悪くない。何もしないことを選んだって、そうしたときの気持ちがいつか誰かの共感を呼ぶことだってある。人に見えやすいところばかりがその人に価値をもたらすわけではなくて、生きている年の数だけどこかで役に立つことだってあるんだと思ってる。

 

店を出て、朝まで散歩。東京タワーから増上寺、芝公園。自動で作動するスプリンクラーのあいだを抜けながら、浜松町まで。

magi <info(at)enil.info>