2007.06.01 fri | 東京旅行

朝まで飲んでいたにも関わらず、猫にたたき起こされた。うちの猫は文字通り人を「叩き起こす」。起こす理由にはふたつあって、ひとつは腹が減っていることを知らせているとき。もうひとつは、飼い主が寝てると暇なのでちょっかいを出してやろう、というとき。今日は後者だった。起きてみて餌をやったら少しだけ食べ、すねに頭突きを何回か繰り返したあと、何をするでもなく外を眺めはじめた。遊んでやろうかとおもちゃを差し出してみたが、少しじゃれただけで後は邪険に払った。今日も彼はあきらかに猫なのだ。

 

昨日は大阪から来た友人と展覧会に行ってきた。六本木から少し麻布十番側に歩いていったところにあるヴァイスフェルトというギャラリーで、カンノサカン氏の個展。既についたときはオープニング・パーティ中で、人の話し声が聞こえてくる。階段を上って二階に行くと壁一面を使った巨大な作品が目に入った。鏡面のように塗られたつやのある黒の上に、下書き無しで描かれたというその画は、生物の骨格を彷彿とさせつつ、基盤のような配列も思わせる。

それらをないまぜにしたあと再構築したような抽象画には見ている人の姿が映りこんでいて、モノトーンの階調と淡い肌色で構成された画の遠近感と相まって、そこに注目している人の心情を映し出しているようにみえた。近づいてみるとところどころに真円に近い形で切り取られている部分があり、そこには緻密な線が幾重にも交差し、混ざりこんでいた。それが遠めには気づかなくても何か生き物の関節のようにも見えて、ひとつの個体としてうごめく、心情を取り込んだ個体のようにも感じる。

会場では、久しぶりに人間違いにでくわした。
「青山さんですか?」
「いえ、違いますよ」
「あれ、そうですか?でも会ったことあるよね」
「どうでしょう、見覚えがあるといえばあるような」

彼女はいくつかのキーワードを僕に投げかけてみたが、それは残念なことにどれも知らないものだった。ドアをあけるための暗号にはならなかった。「でも何かの縁でしょうね」「そうだよね」と僕らは名刺を交わし、彼女が横浜の馬車道で個展をやるというところから、大さん橋の話をした。壁までがウッドデッキになっている、巨大なくじら。雨の日にあそこに行くと、張られた木のすきまから水が滴ってくるんだよ、だからとても滑りやすくて子供にはあぶないんだ、と彼女は教えてくれた。そのすきまに足をかけて、壁を登りたくなるんですよね、でもきっと「登ってはいけない」って注意書きがあるんだろうなと思うと、周りを見回すまでもなく、すんなりとわかりやすい場所に適切なサイズで「のぼらないでください」という表示があるんですよ、と僕は言った。

 

会場を出て、二次会にお邪魔する。日本人の繊細さと粘り強さは素晴らしい。韓国語は覚えたらすぐ通じるわかりやすさがある。4トントラックを運転しているときは八代亜紀が一番しっくりくる。えんやとっとのリズムは海洋民族の根幹を成している。福生では駐車場に車を5台停められてひと月五千円。家にはウォシュレットもついている。校正を掛ける時にはプリントアウトしたほうがミスを見つけやすい(間違っている部分が勝手に光っているように見える)。同じものをみて同じものに惹かれている人たちでも実に多様な種類・多様な強弱の思いがあるんだなあと僕はさつま揚げやいたわさを食みながら感心した。

そういえば僕は今日の作品を昔見たことがあって、同席させていただいた佐藤好彦さんの作品も見たことがあった。ふだんアートに対してそれほど関心を寄せているわけではないけど、僕はたぶん同じ匂いをそこに感じたから記憶に残ってるわけで、こういう感覚的なつながりに何か名前を与えて、それによって傾向をゆるやかに分類できたら自分の中の個々の特性をもっと生かしやすくなるのかもなあ、などと出し巻きをつまみながら考えていた。

 

二次会を後にして、あとから来た友人と待ち合わせて麻布十番まで歩く。近々東京に住まうことになる友人を、夜中のひまつぶしスポットである六本木ヒルズのTSUTAYAに連れて行く。旅でもしたいなと観光雑誌を探していたら沢木耕太郎氏の深夜特急が平積みしてあって、しばらく読みふけってしまった。いきなりそれはちょっとやりすぎなので、まずは近いうちに一泊ぐらいでどこか行こう。

十番商店街を通り、さいきん新しくできた立ち飲み屋に入って3時間ほど飲み続ける。自分は主に食べ続けていたけど。牛モツのデミトマト煮込み、リェットごはん(豚パテ・オニオンスライスをのせたごはんにガーリック醤油を掛けて)、塊パルミジャーノ、フライドポテトが予想を裏切る形で驚いた。

そしていつもの永遠の課題について話をした。0から1の人。1から10の人。10を100に見せる人。お互いがお互いを自分にはできないなと思っていて、だからこそ人は集まって何かをするんだろうね。そしてできないと思っているのは分野が違うからかもしれなくて、でもどっちもできるけど中途半端というのだって良くはない。それでも何を選んだって何も選ばないよりは悪くない。何もしないことを選んだって、そうしたときの気持ちがいつか誰かの共感を呼ぶことだってある。人に見えやすいところばかりがその人に価値をもたらすわけではなくて、生きている年の数だけどこかで役に立つことだってあるんだと思ってる。

 

店を出て、朝まで散歩。東京タワーから増上寺、芝公園。自動で作動するスプリンクラーのあいだを抜けながら、浜松町まで。

magi <info(at)enil.info>