2007.05.15 tue | 駆出しレベル珈琲
気分が落ち着かなかったので、ひさしぶりに早めに帰ってコーヒーを淹れる。
ミルクを先にカップに入れてレンジで50秒温め、その間にやかんで湯を沸かす。ミルクが温まったらマグをレンジから取り出し、ドリッパーをマグカップの上ににセット。ペーパー・フィルターの底と端を注意深く折り、開いてドリッパーにフィットさせる。少し余分に折ると上手くフィットする。
冷凍庫からエスプレッソ・ローストのコーヒーの粉を取り出し、決められた量よりすこし気前良くコーヒー粉を盛り、とんとんとドリッパーを軽く叩いて平らに均す。指で粉の中心にくぼみをつけ、目を閉じ、コピ・ルアクと唱える。
気が済んだら、沸いて少し経った湯をくぼみに垂らす。このとき、注いでしまわないように気をつける。一分間、今日のうれしかったこと、楽しかったことを思い出す。気が済んだら、コーヒーの粉に向かって湯を注ぐ。ペーパー自体に湯を注がないように気をつける。カップに落ちるあいだ、いいことがどうしたら続くのかを考える。湯が無くなったら継ぎ足し、いいことがどうしたら続くのかを考える。湯が無くなったら継ぎ足し、いいことがどうしたら続くのかを考える。砂糖を、他人がエッとおどろく程度入れる。できあがり。

僕は食事を割に作るくせに、飲み物には無頓着だった。酒を銘柄を絞って買い込んだりもしないし、お茶にこだわったりもしない。外に出たときにおいしいコーヒーが飲めるのは楽しみだが、それを家でやろうという発想には何故か行かなかった。たぶん、外で見かけるそれらの能書きが大層な感じで、上手くやるにはそれなりの事前準備が必要だと考えていたんだと思う。
このまえ友人の家に行ったとき、夜中にちょっと肌寒くなって、コーヒーでも飲みたいな、という気分になった。それを伝えると彼女は、ある寒い地方の人々が冬を越すために育んできた自然な行為、といった感じで戸棚から大き目の缶と、ペーパー・フィルターを取り出した。それを見て僕は「ああ、こんなにも自然にコーヒーは淹れられるものなんだな」と、文字に起こすとなんともこっけいな話だが、とにかくそう思ったのだった。
実のところ、僕はコーヒーの淹れ方をひと通り習った事がある。もちろんその人も別にプロというわけではないのだが、何が違うのかわからないが他で飲むものとすこし違う、あっさりとした中にも香ばしさが漂うコーヒーを淹れられる人なのだ。あるいは冬場に飲んだからかもしれないけど、そのコーヒーはいつも僕をとても暖かい気持ちにさせてくれていた。たいがいのものに疑って掛かる癖が、このコーヒーの前では出なかった。この飲み物は間違いなく、100%、僕をほぐしている。
興味を持った僕は一連のステップを見よう見まねでトレースし、指示を仰ぎながらもいちおうの格好はつくようになった。僕の淹れたコーヒーをその人はうまいと言って飲んでくれた。「これで僕もコーヒーを淹れられるようになったわけだ。免許皆伝かな」とちょっと誇らしげに言うと、その人は「君はまだコーヒーを入れるステップを身に着けただけだよ、入門、いや門を叩いただけかも」と告げた。
「なんで?上手く淹れられたよ」
「確かに。でもコーヒーを淹れるという行為は、多分に精神的なものを含んでいるんだよ」
「茶の湯のようなものだろうか」
「近いね。美味くなるように祈るのはもちろんのこと、日々淹れ続けることによって含まれていく雰囲気の香りのようなものがあるんだ。それをコンセントレーションを以って、湯を媒介にしてカップに注ぎいれるものなんだ」
「なかなか難しいものだね」
「でも君は勘がいい。きっと良い淹れ手になるよ」
「なれるといいね。コンセントレーション」
「コンセントレーション」
僕はそのことを気にしていて、きちんと道具をそろえるところからはじめようと思ったまま、月日が過ぎていったのだった。そして友人宅で、まったくフランクに淹れられたコーヒーに出会い、まずはあるものでやれば良い、ということに気づいた。やかんとマグはある。ドリッパーとコーヒーの粉とペーパー・フィルターがあればできる。帰ってからスーパーに行くと、あっけなくそれらは揃った。さすがドリッパーはスーパーには無いだろうと思っていたら、一つ穴のプラスチック製のものが、粉挽きの機械の横に積んであった。
それ以来、僕はコーヒーを淹れ続けている。もちろんインスタントや、ファーストフードで飲むコーヒーより断然うまい。けどそれ以上に、日常の中にひとつの行為として集中できるものがある、というのはなかなか良いものだと思う。よくよく考えてみるとそれは自分が料理を作るときと同じ心持ちなのかもしれない。順序が決まっている中を、如何に無駄なくとおり、自分の考えや気持ちをそこに落とし込むか。それを人に供するときがあるのならなおさらだ。
淹れ続けていくことによって、肩肘を張らずに、無駄なことは考えずに、しかし過不足無く注がれたうまいコーヒーを出せるようになれたらいい。いつかそれが誰かをほぐしたり、何かを気づかせたり、そういう日が来たらいいね。長い間磨かれたそれは、きっと言葉を重ねるより強く響く。
「PK コーヒー」
「なにそれ」
「カッコイイとおもうもの」
「?」
