2007.05.12 sat | あさって
疲れていたのか、午後4時まで起き上がれなかった。このまま寝て過ごすにはもったいない日差しだったので、しばらく乗っていなかった自転車のほこりを払い、もう少し細いタイヤに履き替えさせるかな、と考えながらワイヤーキーを外し、代々木に向かって漕ぎ出す。
途中の自転車屋でバルブのアダプターと、前方灯が故障しているので替えを買った。「ついでにガタが来ていないか診てもらえますか?乗るのがしばらくぶりなので」と僕は店員に伝えると、彼は快諾してくれた。店員と言っても二人しかいない。僕が話している彼と、おそらくはその人の父なのだろう、一人の老人だ。彼が自転車を揺すったりペダルを回したりしてチェックしている様子を僕がカメラで撮っていると、奥にいた老人が僕に声を掛けてきた。
「良く撮れる?それ」
「ええ、きれいに撮れますよ」
「デジタルか。ここに撮ったのが出るの?」
「出ますよ。こんな風に」
僕は自分の自転車に向けてシャッターを切り、そのプレビューを老人に見せた。
「きれいに撮れるね、私も撮るんだけどね、一眼レフは重くないかね」
「意外とそうでもないですよ。とはいえやはり、大きいですね。鞄に入れておいたりはしづらいです。でもこうやって下げておいたほうがとっさの時に撮りやすいし、撮るためにどこかに出掛けよう、という気分にもなりますよ」
「そうだよね、いいね」
お写真頂いてよろしいですか、と僕が尋ねると、彼は少し照れた様子だったが、僕は構わずシャッターを切った。一眼レフを持っていて良いところは、写真を撮ることについて大義名分のようなものがつくところだ。もちろん写真そのものもコンパクトタイプや携帯電話のカメラに比べて全然違うのだが、それ以上に「写真に対してある程度真摯に向かっていますよ」ということが明示できるというのは、特に人を撮るときに大きな効果を生むと思っている。
チェックの途中でその老人は、奥から自分の撮った写真が入ったアルバムを持ってきてくれた。アルバムと言っても、写真を現像したときにおまけでついてくる、小さなものだ。中には記念写真がいくつか入っていた。旅行先で撮った集合写真。家族と食事に行ったときの写真。風変わりだったのは、選挙に出馬している政治家の事務所の写真が混ざっていたところ。事務所だけではなく、選挙カーや、たすきを掛けて挨拶に回る政治家の写真もあった。おそらく後援会にでも入っているのだろう。完全に固まった笑顔で手を振る政治家の写真が、個人的な思い出といっしょにアルバムに入っているというのは、奇妙なものだった。それをまとめているのが現像のおまけについてくる花柄の小さなアルバム、というところも不思議な物悲しさがあった。良い写真ですね、と僕が言うと、老人は少しだけ嬉しそうな顔をした。自転車のチェックが終わり、僕は礼を言って店を後にした。
環状八号線から井の頭通りに入り、代々木公園に向かう。四年前、渋谷にある会社に勤めていたときに通った道だ。代々木上原に向かう下り坂を降りていく途中で、この通りにまつわる話を書こうとして、止めてしまったことを思い出した。あのとき書きかけたものはどこに行ったのだろうか。もう消してしまったかもしれない。あれを書き上げれば、もうひとつ先に進めるような気がして、でもそのままにしてしまった四年前。帰ってみたらいちおう探すだけ探してみようと考えているうちに、緑の匂いが漂い、そのあとで香菜と、のお香の匂いがしてきた。
毎年訪れるようになって、今年が三回目のタイ・フェスティバル。会場につくと、自分がどうも猛烈に腹が減っていたらしいことに気づいた。前の日の夜に酒のつまみを、まさに多少つまんだだけだったことを思い出し、それで夕方に起きて自転車を30分漕いだのだから腹が減るに決まっている。目玉焼きのサラダ、グリーンカレー、春雨入りソーセージ、タイラーメン、五目春巻き、サテー、ココナッツミルクアイス、シンハー・ビールを二杯。それだけ食べるとさすがに満たされた。相変わらずハズレが無く、旨い。店の宣伝のために屋台出してるわけだから、そりゃ力も入れるわけで、うれしいことだ。たぶん、店で食べるより旨かったりするんじゃないかと思う。ロケーションもあるしね。そして毎回来て思うのは、東京近郊にこれだけのタイ料理屋があるんだ、ということ。ティーヌンはいろんなところにあるから割と目に付くけど、それ以外となるとなかなか思い出せない。荻窪に馬来風光美食というマレーシア料理屋と、新宿にミュンというベトナム料理屋があることを思い出したが、どちらもタイじゃなかった。
会場ではタイのミュージシャンがライブを行っていた。当然タイ語なので歌詞の意味はわからないが、こちらで言うところのJ-POPに相当する音楽だったので、歌い方やメロディでだいたいの意味はわかる。色々あるけど楽しんでいこう、きっと明日は良い日だ、という歌。君を無くしたことを思うと切ない、あんなに愛し合っていた二人だったのに、という歌。好きで好きで仕方が無い、この思いを届けにいこう、という歌。なるほど、ポップだ、まさにポップス。三杯目のシンハー・ビールを飲みながら、結局一時間ほどぶらぶらしていた。会場にはアメリカ人やイタリア人の姿もちらほら見受けられ、彼らの目にはこの催しはどのように写るんだろうな、と思った。僕がニューヨークのチャイナ・タウンに行くようなものなんだろうか。
Tシャツ一枚では肌寒くなってきたので、ジャンパーを着て会場を後にした。映画でも見ようと思い、渋谷に向かう。アミューズCQNに向かい、映画館が入っているビルにあるPenguin by Munsingwearでポロシャツを物色。エンブレムが気に入ったのだが、ボディのプリントにいまいち食指が働かず、見送ることに。ペンギンを大きく取り扱っているブランドがここ以外にもあればいいのに、と思っている。もらってきたパンフレットには、ペンギン豆知識が書いてあった。ペンギンのくしゃみの秘密、とのこと。「ペンギンは海水を飲んで水分を補給することができる特殊な動物です。ペンギンが海水を飲むとき、海水中の余分な塩分は、くちばしの根元にある『塩涙腺』という器官に集められ、濃い塩水として体外に排出されます。この動作がくしゃみのように見えるのです」
21時5分の回は、僕を含めて15人ぐらいしかいなかった。「明日、君がいない」という映画。観終わったあと、はじめは素直に驚いた。そしてしばらく内容を思い返すうち、あの人が死を選ぶのは当然かもしれない、と思うに至った。「関心を持たれない」という苦しみ、さらにそれが自分の近しい(あるいは近しい距離に身を起きたい)存在から恒常的に与え続けられるというのは、それがひとつひとつとしては小さかったとしても、タイミングが重なると一気に人を突き落とすだけの苦しみになりうる、ということを伝えたいのだろうと考えた。生きていくための立ち振る舞いを要求される場に毎日向かわなければならない、その生活の中での無関心。自分がどんなに手を差し伸べようとしても、その手が誰にも見えてない恐怖。死を選ばなかった人たちには、少なくとも対象があった。自分が誇れるものがあった。あの人にはそれも無かった。あるいは、あっても届いていなかった。
明治通りから青梅街道に入り、荻窪に戻った。中國台風でジャージャー麺を食べ、グレープフルーツサワーを飲み、読みかけの「ねじまき鳥クロニクル」の第二部を読み終えた。4月半ばぐらいから手持ちの村上春樹作品を全て読み返している。10年振りなので全く覚えておらず、新鮮で面白い。
