2007.05.11 fri | はぐれぐも
電車が遅れたせいで、終電はとても混んでいた。なんとか乗り込み、ひと駅過ぎて、ドアが開く。僕はドアの近くに立っていたので、降りる人に促されるようなかっこうで一度外に出る。
まるで車両が呼吸しているように、この駅で下車する人が吐き出され、ここから乗車する人と、僕のような人々が飲み込まれる。僕はなんとなくその電車にもう一度乗るのがめんどうになっていた。乗り込んだところで本を開くスペースもまだ作れそうになかったし、僕の近くには酒を飲んで顔を赤らめた50代ぐらいの男と、ホストに金髪の女の子の組み合わせと、阪神タイガースのユニフォームを模したTシャツを着ている、おそらくヘッドホンの中にはパンクが流れているのだろう、小刻みにゆれている30代ぐらいの男がいて、それらに囲まれて電車に揺られるというのはあまり気持ちのいいものではなさそうだった。僕はホームに降りたまま、人々を眺めて突っ立っていた。
僕以外のだいたいの人が電車に乗り終わったところで、車内の視線が僕の足元と、僕の顔に注がれていることに気づいた。何か踏んだか、この時間だと吐瀉物でもあったのかな、などと考えながら、自分もその視線に交差させるように下を向いていくと、そこにはバッグがあった。特に飾り気もない黒のトートバッグが、黄色の線の内側、白線の外側に倒れていた。
車内の彼らはこう考えていたのだと思う。何かが落ちている。あれはなんだろう。黒いバッグのようだ。降りるときに誰かが落としたんだろう。届けてあげるべきなんだろう。しかしこの電車を降りてしまったら帰ることができなくなる。君はこの駅で降りるように見える。ねえ、そこで立っている君、ひとつこのバッグを駅員まで届けてやったら良いんじゃないだろうか。ほら、我々は降りるわけにはいかないのだよ。我々には行くべきところがある。たいへん残念なことだけど、我々はそのバッグに関わることができないんだ。でも放っておいたって良いとも思う。おそらくは駅員が回収するだろうからね。とはいえ君はそこにさっきから立っている。このバッグに対してまったく興味がない、というわけでもないんだろう?さあ、君はどうするんだ?
僕は、人が視線だけでここまで語れるものなのだなあと感心した。顔の赤い男も、ホストも金髪の子も、タイガースも、同じように僕とバッグに視線を注いでいた。タイガースは視線を注ぎながら小刻みに揺れていた。彼だけは、もしかしたら別のことを考えていたかもしれない。さっきのは性善説だったから、彼は性悪説に基づいて、僕がこのバッグを横領するためにわざわざここで降りて、誰も手をつけないことを確認していると考えているのかもしれない。あるいは今日の阪神の勝敗について考えていたのかもしれない。
僕は別に、特に親切なほうではないと思う。道端に歩き煙草のあとがあっても拾わないし、風で自転車が倒れていても、大量だったら元には戻さない。一台だったら、僕が個人的に自転車が好きということもあって戻すかもしれない。電車で優先席に座らないのは、余計なめんどうを避けるため、という意味合いも半分ある(「優先」という言葉の解釈に違いで口論になっている現場を良く見かけるからだ。一度、優先席に座っている若者に対して、長身の外国人が「オマエ、バカジャナイノー」と連呼している場面を目撃したことがある)。
だけどこのときは、なんだかこのバッグがあまりにないがしろに扱われていて、みんなそれを認識しているのに誰も手を差し伸べない、という状況がどうしてだか僕の心を打った。車内の視線に圧されたわけでもなく、落とし主に親切にしてあげようという気持ちでもなく、僕はそのバッグそのものに、深い同情の念を抱いたのだ。毎日持ち主の荷物を運び、地味ながらも生活を支えるひとつのものとして存在しているバッグに対して、慈しみの気持ちを持ったのだ。
僕がバックを拾い上げると、発車のメロディがホームに響き渡った。電車に乗り込んだ人々は、僕のことを見ている人もいたし、もともと見ていない人もいたし、拾い上げたことでものごとが終わったと考えたのか、視線を外した人もいた。タイガースはなぜかもう揺れていなかった。僕は右側から小走りで近づいてきた駅員に「乗るの?」と尋ねられた。「いえ、降ります」と答えると、彼は無言で何かの合図をどこかに送り、そしてドアは閉まった。ドアが閉まったことで、僕に対する視線はまた一段と弱まった。僕を見ているのは最早、タイガースだけだった。そして中央線は始めはゆっくりと、徐々に加速をつけて走り去り、ホームには全ての運行が終了した旨のアナウンスが流れた。
