2007.05.10 thu | つめたいざわめき

友人が最近気に入ってよく聞いている曲を聞かせてもらった。かっこいいね、と伝えると、女の強さの魅力のようなものを感じた、と彼は言った。音楽に対して彼が論理的ではなく情感的に接しているのを見たのは初めてだったので、思わず「君でもそんな聞き方するんだね」と感心してしまった。

そして彼は「最初は、好きと思える曲がただ好きなだけだよ。そのあとで自分がそれを何故好きか、ということを考えるんだ。人生の半分ぐらいはそれを考えて過ごしている」と言った。

僕は「それ」が何故好きなのか、上手く説明できないことが多いなと思う。本当に好きなものは言葉で言いつくせない、などと思うのは簡単だけど、そうではなくてそれを掘り下げようとも、特にはしていないようだ。音楽だったら、たとえばピアノや管楽器が入っていたり、郷愁を感じるメロディーであったり、長尺であったり、少しずつ変化しながら後半が盛り上がってくるミニマル的要素であったり、ビートがどっしりしているものが最近の好みだったりするけど、じゃあそれが何故なのか。

しばらく考えた結果、僕にとっては「昔から今に向かって来る風景」「大きくは変わらずに少しずつ無くなっていくさま」を思い浮かべられることが、それが対象が何であっても重要な点なのかもしれない、というところまではわかった。すこしずつやってきて、すこしずつ消えていく。世界の向こう側で生まれた風が、長い時間をかけて木々を薙ぐほどの、雲を散らして陽が射すほどのものになって、でもここに来るときにはただの柔らかい、香りを運ぶためだけのものになって。写真にしても、映画にしても、街だって、旅先であっても、誰かたちでさえも。

ここには風が吹いているだろうか。指をなめてかざしているけど、乾く気配はとくになく、濡れたままだ。息を吸い込んで、自分の手で扇いで、体の中と外に風を起こしていかないといけない。そうすれば、それがきっと誰かに届くことだってある。

深夜3時に会社を出て、浜松町から新宿まで歩いた。外には風が吹き荒れて、木が折れそうなぐらいしなっていた。はじめは肌寒かったが、歩いているうちに無感覚になっていく。途中、区立のほうの芝公園に寄ってみる。夜中なのにものすごく明るくて、きれいに整備されていて、一部はホテルとつながっている。増上寺が見え、東京タワーが見える。すべてがつくりもののような景色。

magi <info(at)enil.info>